スマホ画面の色を反転させる
四半世紀前に、「色弱について考える」というサイトを運営していたときのことです。
背景色と文字色の読みにくい組み合わせについて、というコンテンツをアップしたときのことでした。
その中で、黒地に白文字は読みにくい組み合わせだと私は書いていました。
あるとき、掲示板に「黒地に白文字はハードウェアにとっても、眼にとっても最も負担のかからない組み合わせだ」という書き込みがありました。
当時の私にとっては、黒地に白文字は眼がチカチカして読みにくいと反論しました。
今私は、明るい地色に黒文字のサイトを白黒反転させて読んでいます。
眼も疲れないし、スマホのバッテリーも長持ちするしで、あの時掲示板に書き込んでくださった方に謝りたい気持ちです。
このブログも、可能ならダークモードに切り替えられるようにしたいのですが、残念ながらそのスキルがありません。
この色の反転機能は、スマホによっては設定で有効にできます。
利用したいと思われる方は、身近のスマホに詳しい人に聞いてみてください。
背景色と文字色の読みにくい組み合わせについて、というコンテンツをアップしたときのことでした。
その中で、黒地に白文字は読みにくい組み合わせだと私は書いていました。
あるとき、掲示板に「黒地に白文字はハードウェアにとっても、眼にとっても最も負担のかからない組み合わせだ」という書き込みがありました。
当時の私にとっては、黒地に白文字は眼がチカチカして読みにくいと反論しました。
今私は、明るい地色に黒文字のサイトを白黒反転させて読んでいます。
眼も疲れないし、スマホのバッテリーも長持ちするしで、あの時掲示板に書き込んでくださった方に謝りたい気持ちです。
このブログも、可能ならダークモードに切り替えられるようにしたいのですが、残念ながらそのスキルがありません。
この色の反転機能は、スマホによっては設定で有効にできます。
利用したいと思われる方は、身近のスマホに詳しい人に聞いてみてください。
正常色覚(多数派)は、皆同じ色の世界を見ているのか?
正常色覚(多数派)の人は、人は誰でも同じ色の世界に生きている。(一部の少数派を除き)と、思っています。多分....
一方で色覚少数派の人は、様々な場所で排除されてきました。
色で情報を区分するときにも、少数派の人間は、その場に参加することを許されませんでした。
(色盲色弱に対する偏見や差別が色濃く残っている環境ではカミングアウトできなかった)
例えば交通信号機の色の組み合わせの、赤・緑(青緑)・黄色を作ったのは多数派の人間です。
多数派だけで作った仕掛けは、多数派にはその組み合わせでは、少数派にとって不便・不利が生じることがあるなど思いもよりません。
なにせ多数派は、皆が皆同じ色を見ていると決め込んで入るからです。
少数派の色覚特性をもつ者は、多数派の作った制度に、不便・不利を承知の上でなんとか適応していくしかありませんでした。これまでは....
カラーユニバーサルデザインの考え方が、先人の当事者の尽力によって ようやく浸透しはじめましたが、まだまだ十分とは言えません。
子どもたちの未来のために、カラーユニバーサルデザイン・カラーバリアフリーという概念が、あたりまえのことになる日を待ちたいと思います。
それまでは、少数派の我々の、より一層の努力が不可欠です。多数派で構成された社会に私たちはもっと浸潤していかなければなりません。
社会の中で色盲色弱であることをカミングアウトして、少数派の存在をアピールしなければなりません。
無為に過ごしているばかりでは何の進展もないのですから。
一方で色覚少数派の人は、様々な場所で排除されてきました。
色で情報を区分するときにも、少数派の人間は、その場に参加することを許されませんでした。
(色盲色弱に対する偏見や差別が色濃く残っている環境ではカミングアウトできなかった)
例えば交通信号機の色の組み合わせの、赤・緑(青緑)・黄色を作ったのは多数派の人間です。
多数派だけで作った仕掛けは、多数派にはその組み合わせでは、少数派にとって不便・不利が生じることがあるなど思いもよりません。
なにせ多数派は、皆が皆同じ色を見ていると決め込んで入るからです。
少数派の色覚特性をもつ者は、多数派の作った制度に、不便・不利を承知の上でなんとか適応していくしかありませんでした。これまでは....
カラーユニバーサルデザインの考え方が、先人の当事者の尽力によって ようやく浸透しはじめましたが、まだまだ十分とは言えません。
子どもたちの未来のために、カラーユニバーサルデザイン・カラーバリアフリーという概念が、あたりまえのことになる日を待ちたいと思います。
それまでは、少数派の我々の、より一層の努力が不可欠です。多数派で構成された社会に私たちはもっと浸潤していかなければなりません。
社会の中で色盲色弱であることをカミングアウトして、少数派の存在をアピールしなければなりません。
無為に過ごしているばかりでは何の進展もないのですから。