色神検査のこと(中学2年の春)
色神検査(色覚検査)私が中学生の頃は色覚検査のことをそう言っていました。
私の年代では、色覚検査のとき生徒を一列に並べて検査を行うパターンが多かったらしいですが
それでは、衆人環視の中での検査になってしまい。検査の結果がクラス中に知れ渡ってしまいます。

その点、私は幸運だったといえるかもしれません。
検査は、教室に一人ずつ入って行われました。

結果は、赤緑色弱でした....
「理系の学校は諦めたほうがいいかもしれないね」
養護教諭の先生にそういわました。

子ども心にも自分は欠陥人間なんだと陰鬱な気分になりました。
幼稚園の時代から自分の色覚は他の人とは違うと漠然と感じていましたが、そういうことだったのかと合点がいきました。
同時に、自動車の運転免許はとれるんだろうかとも思ったことを今でも覚えています。
中学2年生の春のことでした。

色覚異常と色覚多様性、対立する概念
色覚異常と色覚多様性
「異常」と「正常」
色覚異常の当事者は、本能的に「異常」というカテゴライズに入れられることを忌避する。

「異常」の対岸にある「正常」
「正常」とは何か?
「多数派」が「正常」?

では仮に「少数派」が「多数派」になったら、異常3色覚・2色覚が「正常」になるのか?

「色覚多様性」という括りなら、「正常」「異常」という頸木から解放される?

色盲色弱は「目の病気」?

「色覚多様性」は「個性」?

この先、色覚多様性の各ジャンルをどう言い換えたところで、それが新しい差別用語にならない保証はない?

すみません、ちょっと混乱しております。
「色のふしぎと」と不思議な社会 本の紹介


「色のふしぎと」と不思議な社会 2020年代の「色覚」原論
川端裕人(著)筑摩書房 電子書籍 1,815円 紙媒体 2,090円

少数派の色覚特性を持つ人必読の書、そして多数派の人にも読んでもらいたい本です。
そ~だよなぁ~、そ~だよなぁ~、と思いながら読んでいます。
正常色覚(多数派)は、皆同じ色の世界を見ているのか?
正常色覚(多数派)の人は、人は誰でも同じ色の世界に生きている。(一部の少数派を除き)と、思っています。多分....

一方で色覚少数派の人は、様々な場所で排除されてきました。

色で情報を区分するときにも、少数派の人間は、その場に参加することを許されませんでした。
(色盲色弱に対する偏見や差別が色濃く残っている環境ではカミングアウトできなかった)

例えば交通信号機の色の組み合わせの、赤・緑(青緑)・黄色を作ったのは多数派の人間です。

多数派だけで作った仕掛けは、多数派にはその組み合わせでは、少数派にとって不便・不利が生じることがあるなど思いもよりません。

なにせ多数派は、皆が皆同じ色を見ていると決め込んで入るからです。

少数派の色覚特性をもつ者は、多数派の作った制度に、不便・不利を承知の上でなんとか適応していくしかありませんでした。これまでは....

カラーユニバーサルデザインの考え方が、先人の当事者の尽力によって ようやく浸透しはじめましたが、まだまだ十分とは言えません。

子どもたちの未来のために、カラーユニバーサルデザイン・カラーバリアフリーという概念が、あたりまえのことになる日を待ちたいと思います。

それまでは、少数派の我々の、より一層の努力が不可欠です。多数派で構成された社会に私たちはもっと浸潤していかなければなりません。

社会の中で色盲色弱であることをカミングアウトして、少数派の存在をアピールしなければなりません。

無為に過ごしているばかりでは何の進展もないのですから。
私は色覚特性です。???
色覚特性という言葉の使い方
家の子が色覚特性で....
色覚特性の方々....

これらの使い方に違和感がありませんか?
色覚特性というのは、色覚異常・色覚障害というワードを言い換えるためのものではありません。

1色覚から異常2色覚、異常3色覚、3色覚以上に至るまての色覚の多様性を表す言葉のはずです。
つまり、色覚特性とは誰もが固有の色覚特性を持っているということです。

おそらくは色覚異常・色覚障害といった差別的と思われる言葉を避けるために使っているんでしょうが、それなら1型色覚や2型3色覚といった言葉を使うべきではないでしょうか。

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